宮世琉弥の両親はどんな人?父親は建築家で母親とはとても仲良し

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ドラマ『恋する母たち』や『君の花になる』などに出演して注目を集めた宮世琉弥さん。

宮世琉弥さんが初主演の映画『恋わずらいのエリー』が3月15日に公開され話題になっていますね。

更にシンガーソングライター「Ryubi Miyase」としても活躍中です。

そんな多才な宮世琉弥さんを育てたご両親がどのような人か気になりますよね?

この記事では宮世琉弥さんのご両親についてまとめましたので、よければ最後までご覧ください。

宮世琉弥の父親はどんな人?

宮世琉弥さんの父親は一般の方です。そのため顔などは公表されていませんでした。

ただ、お仕事については公表されていました。

宮世琉弥さんのインタビューから父親のエピソードをご紹介します。

宮世琉弥の父親は建築家

宮世琉弥さんの父親の職業は建築家です。

宮世琉弥さんのトリセツのようなスタイルブック『RB17 りゅうびセブンティーン』の中で、理想のデート企画があります。

そこにDIYデートが出てきます。恋人と材料を買って何か作りたいのだそう。

その事について宮世琉弥さんは

父が建築家なので、DNAですかね(笑)

とコメントされてました。

宮世琉弥さんが料理や絵を描くこと、ものづくりが好きなのは父親の影響があるようです。

また働いている父親の事を下記のように語っています。

「僕のお父さんが働いている姿をよく見てきたのですが、社員さんや目上の人に対しての対応をしっかりする“強いお父さん”を小さい頃から間近で見てきたことは大きいですし、そういった体験ができてきてよかったなと思います」

引用元:TVガイドweb

「社員さん」という言い方や、幼い頃から父親が働いている姿をよく見ていたという事から、建築事務所を経営している可能性も考えられますね。

「琉弥」は父親が名付けた

宮世琉弥さんは苗字は芸名ですが、下の名前は本名です。

父親が三国志が好きで劉備玄徳にちなんで「琉弥(りゅうび)」と名付けたそうです。

劉備玄徳は蜀の建国者で『三国志演義』の英雄の一人です。 

「劉備のように人徳がある人になれるように」という思いが込められています。

『ザ!世界仰天ニュース』で中居正広さん達が名前の由来を聞いて驚いていましたね。

宮世琉弥さん自身はこの名前で良かったと思っているようです。

ただ漢字は違っていて琉球の“琉”に弥生時代の“弥”と書いて“りゅうび”と読ませています。この漢字でこの読み方をさせるのも珍しいので、まず名前から気になってもらえることも多くて、この名前で良かったな、と思っています。

引用元:フジテレビュー!!

「琉弥(りゅうび)」は確かに印象に残る名前ですよね!

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宮世琉弥の母親はどんな人?

宮世琉弥さんは母親の事を「生きていく上で、僕にとって欠かせない大事な存在」と言っています。

父親と同じく母親も一般の方なのでプライベートな情報は公開されていません。

宮世琉弥さんのインタビューから母親がどのような人なのか探っていきます。

料理を本格的に作るようになったのは母親のすすめ

宮世琉弥さんは料理をするのが好きで自宅で過ごすときは、ほぼ自炊をしているそうです。

小学生の時に母親に頼んで、妹と2人で近所の料理教室へ通ったのが料理との初めての出合いでした。

インタビューで料理は母親の喜ぶ姿がモチベーションになっていたと語っています。

母から『おいしい』と喜んでもらえることがやりがいでしたし、モチベーションでした。その頃は遊びの感覚だったんですよ。料理ができるというだけで自慢になったし。中学校に上がった頃から、『将来できるようになっておいたほうがいい』という母のすすめもあって家でも本格的に作るように。

引用元:SPUR.JP

本格的に作るようになったのもまた、母親の言葉があったからなんですね。

宮世琉弥さんにとって料理をする時間はとても大切で、心と体がリセットされるそうです。

宮世琉弥と母親はとても仲良し

宮世琉弥さんの投稿から母親と仲良しなのがわかります。

2019年10月にInstagramにて、母親と2人で松島観光をした事が投稿されています。

また、2023年7月には母親への誕生日メッセージをInstagramに投稿していました。

メッセージの中にはこのような言葉も。

いつも優しく、笑顔が絶えない母が大好きです

たまに怖いけどね!怒ると!

母親に「大好きです」と言えるの素敵ですね!

母親が欲しがっていた鞄を買ってあげたこともあるそうです。

まだ若いのにしっかり親孝行しているんですね。

お母さんとの関係性についてインタビューでは、このように語っています。

親には思っていることをちゃんと正直に全部言った方がいいと思っているんです。だから隠し事などはせずに、思ったことは全て正直に話します。それで喧嘩になることももちろんあるけど、その喧嘩があったからこそ前に進める時もあるし、ちゃんと意見をお互いに言い合えることが、僕の中では理想の関係です。隠すのも隠されているのも嫌なので、心配をかけるから敢えて隠す、ということもしないです

引用元:OTONA SALONE

なんでも言い合える親子関係のようです。素敵な関係ですね!

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中学校卒業式のエピソード

中学校の卒業式のエピソードをご紹介します。

卒業式、宮世琉弥さんの制服を見て母親は『え?』となっていたそうです。

この母親の反応が、宮世琉弥さんの制服のボタンがなくなったかどうかのヒントだそうです。

ボタン…おそらくなくなってますよね!?笑

更にこんなエピソードも。

中学の卒業式のころは、直前までずっと芸能活動で覚えることがいっぱいあって、久々に学校に行ったのが卒業式だったんです。だから、歌とかも練習できてなくて雰囲気で歌っていて。RADWIMPSさんの『正解』という曲を歌っているときに、1サビ2サビと聴いていてなんとなくパターンがわかってきて、3サビで大きくワーッと大声で歌ったら、全然違って顔が真っ赤になっちゃって(笑)。バレてないかな、と思いながら、家に帰ってお母さんが撮った動画を見たら、僕がミスしたところを奇跡的にアップで撮ってました(笑)

引用元:モデルプレス

よりによってミスしたところをアップで撮っているなんて!

宮世琉弥さんと母親が笑いながら動画を見ているのが画に浮かびますね。

胸に刻まれている母親の言葉

宮世琉弥さんは小学1年生の時に東日本大震災で被災し、津波に襲われた経験があります。

車で迎えに来た母親と帰る途中に、津波に襲われました。

気が付くと水が迫ってきていて、車が押し流されていたそうです。何が起こったのかわからない状況の中、母親が思いきりアクセルを踏んで助かったそうです。

宮世琉弥さんと家族が暮らしていた家は流されてしまいました。

また、大切な家族を失ってしまいました。

宮世琉弥さんは、愛犬マロの死についてこのように語っています。

飼っていたシバ犬が、家のあった所で死んでいたんです。犬小屋は(流されて)ない。あれだけの津波が来たら普通なら流されている。不思議ですけど(犬は)そこにいてくれた。家を守ってくれていたんだなって

引用元:スポーツ報知

家族で辛い思いを乗り越えてきたんですね。

被災して間もない頃に、母親から掛けられた言葉が今も胸に刻まれているそうです。

それは「(亡くなった)その人たちの分まで生きなさい」という言葉です。

それ以降、宮世琉弥さんは震災を風化させないために何ができるか考えて過ごしているそうです。

将来、震災をテーマにした映画を自分で作りたいとインタビューでお話されていました。

宮世琉弥さんの父親や母親の写真は見つかりませんでしたが、素敵なご両親に育てられたという事がわかりました。

宮世琉弥さんの夢が叶うよう応援していきたいです。

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